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 息子の言葉を頭の中で何度も何度も反芻し、受け入れられるものか、否か、
麻木は検証してみた。しかし、いくら呑み込もうと努力してみても、楓の言う
ことは理解すら出来ない。
「待て。誰の家族を捜せって?」
「僕の夢の中に出て来る女の人だよ。名前はわからないけど。でも、年齢とか
容姿がわかれば、無理ってことはないよね。だって、警察にはそういうことを
記入したリストがあるんでしょ?」
麻木は楓の整った顔をまじまじと見つめなければならなかった。エレベーター
の中で親子して見たり、聞いたりした幻に囚われている場合ではなくなった。
正直、あれくらいのことなら理由を付けようと思えば、手頃な理屈は幾つでも
捻り出すことが出来る。
それに。単にオレが忘れているだけかも知れない。
昔、公園内で体験した出来事をまち子に話した覚えがないように、楓に時計店
主の、あの事件について話した事実を麻木だけが忘れているのかも知れない。
その可能性はなくはない。こいつは物覚えがいいからな。
もしかしたら、貧血で失神する何秒か前に見たものなぞ、記憶したまま、放置
されていた、どうでもいい父親の無駄話の一部なのかも知れない。頭がまとも
に機能していなかったために古い記憶が何かとない交ぜになり、おかしな幻影
を見、音を聞いたつもりになっただけかも知れない。
きっとオレが忘れているだけなんだ。
麻木はそう自分に言い聞かせ、納得もする。
 しかし、今、楓が大真面目に言っていることは異常そのものだ。自分の夢に
現れる女の家族を捜せと言うのだ。それも彼女を、彼女を待つ家族の元へ帰す
ために。
「その」
「何?」
「夢の中に出て来るっていう、その女は、死んでいるのか?」
麻木は用心深く聞いてみた。確かめなくてはならない。恐ろしいことだが、父
親なのだ。人任せになど出来ない。
「うん。そうみたい。だって、水の底にいるんだから」
「水の底?」
「そうだよ。具体的な地名はわからないけど、でも、ここじゃないかって思う
場所はあるんだ。底をさらえば、きっと見付かるって感じ」
「な、楓」
「何?」
「警察はな、そんな冗談を何よりも嫌うんだぞ」
楓は麻木の顔を見た。その顔はもう笑ってはいなかった。力が抜けたような、
淋しい顔がじっと麻木を見ていた。

 今日まで一度も見せたことのない表情を見、麻木は自問する。自分はとんで
もない失敗をしでかしたのではないか? 怒らせた時とはまた違う不安が麻木
の胸を過ぎる。しかし、もう言い直すことは出来ない。それに麻木は父親なの
だ。目先の何より、これから先、延々と続くだろう将来を案じてやらなければ
ならない。現状、ここにある不具合を受け入れ、一時のことと割り切って対処
してやらなくてはならなかった。
そうだ。こいつは今、病気みたいなもんなんだ。
自分の知人ばかり、四人も立て続けに惨殺されていながら、傍が心配するほど
ショックを受けた様子を見せなかったのも、麻木の予想以上にとうにまいって
いたからに違いない。そう思うと、麻木には何もかも合点が行く。
妄想なんだ。
嘘を吐いているんじゃない。
楓は今、幻を見ているんだ。

 

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