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 楓は表情の乏しい薄らいだ顔で、ぼんやりと父親の顔を見ていた。虚ろで、
石のような目は関心がないようにも、言われたことが理解出来ず、聞いた内容
をどう処理してよいものかわからず、いっそ、ためらっているようにも見える
。困るのも当然だ。麻木は楓に何一つ、自分の胸の内を明かしたことがない。
聞かれないからというだけでカホのことを教えてやることもなかった。自分の
手間を惜しまず、気恥ずかしさを厭わず、素直に彼女のことを、彼女に対する
自分の気持ちを楓にだけは教えてやるべきだったのだ。もし、それだけはして
やっていたなら。
___絶対にこうはならなかった。
その悔いに胸が痛んだ。
 突然、父親に心情を吐露され、楓は途方に暮れている。思いがけない事故に
遭い、驚きから即座に対処出来ず、困り果てて、突っ立っている子供のような
顔をして。
___ああ。
何を言いたいのか、直接的にわかり難い楓の無表情を見ていて、麻木には一つ
思い出したことがある。随分、昔、自身が父親に言われた言葉。
『おまえは生気がなくて、気味が悪い。何を考えて生きているのか、オレには
さっぱりわからんよ』

 父親は警官だった。素直で明るく、はきはきとした子供だけを子供らしい、
可愛らしいと評価する彼にとって、麻木は鬱陶しい存在だったのだろう。麻木
には実の父親である彼に笑い掛けてもらった覚えがなかった。人間は歳を得る
に従って、永劫、失いたくない思い出さえも忘れて行くものだ。だが、父親に
まつわる記憶は時が流れたために薄れ、忘れていたのではない。忘れたかった
からだ。ずっと、あの辛く寂しい日々を記憶から消し去りたかった。父親の膝
の上で甘えるまち子を見る度、自分の胸に浮かび上がり、自分を苛む感情を、
当時の麻木はそれが何なのかわからないまま、あっと言う間に大人になった。
だが、今ならはっきりとわかる。あれは嫉妬であり、憎悪だったのだ。
 まち子の父親が粗暴な男だと知っていた。だからこそ、小さな女の子が一家
の修羅場から逃れ、隣の麻木家へ逃げ込んで来ることを迷惑とは思わなかった
し、自分の安らぐべき家庭から逃げ出さなければならない幼いまち子を不憫だ
とも思っていた。だが、同時に自分の両親にチヤホヤされて有頂天ではしゃぐ
まち子が憎かった。
 もしかしたら。そんな妬ましさが心の一番深く、自分でも覗いてみることの
出来ない真底に黒くこびり付いていて、だから麻木は無意識の内にまち子との
結婚を嫌悪し、彼女の望みを叶えてやることだけはしたくなかったのではない
か? 
___おぞましい話だな。

 麻木は身震いし、我に返った。自分のことはもう、いい。そう思い、麻木は
より一層、丁寧に楓を見つめてみる。すると初めて、明確に見えて来たものが
ある。形だけが整い、かわいそうなほど疲れのにじんだ、乾いた顔。この顔の
奥に騒々しい、人間らしい感情が詰まっているようにはとても見えなかった。
ならば、楓は生まれつきの、暗い子供だっただろうか? 
___いいや。
麻木は強く首を振る。昔、カホが遊んでやっていたあの小さな子供は元気で、
大声で泣き、大声で笑い、懸命に何かを喋ろう、伝えようとしていた。あれは
陽気な子供だった。ものおじしない強気な気性で、散歩の途中、見知らぬ犬の
鼻先を掴もうとして、義姉に悲鳴を上げさせたこともあった。思い返してみる
と、楓は生来は積極果敢な性格だったのではないか? 
___それなのに。オレが変えてしまったんだ。口が回らなくて、満足に自分
の気持ちも言えないオレが一人で育てたから、だから、楓は変質してしまった
んだ。オレがこいつを植物みたいにおとなしい、違う人間にしてしまっていた
んだ。

 

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