楓は結局、それきり寝付いてしまった。特に最初の二、三日の高熱は酷く、 このまま楓の身体は煮えてしまうのではないか? 思わず、麻木がそんな心配 をしたほどだ。しかし、それでも高熱は緩やかに下がり、容態は安定し始めて 来た。どうにかして楓が自ら身体を起こせるようになると、麻木は義姉に留守 中の面倒を頼み、自分は捜査に戻ると決めた。熱が残り、ふらつく楓を置いた まま、家を空けることに抵抗はあったが、兄までもが看ていてくれると言って くれたし、楓のためには犯人を逮捕する、それ以上の良薬はないと考えたから だ。犯人を逮捕し、一刻も早く楓の心を楽にしてやりたい。そう願うものの、 相変わらず手掛かりのない日が続いている。巷においてはとうとう犯人は警察 内部にいるという、まことしやかな噂まで流れ始めていた。あまりの情けなさ に歯噛みしながらも、違うと否定して見せられるだけの根拠も示せず、署内は 苛立つばかりだった。 そんな異様な緊張に満ちた職場から帰宅すると、楓がのどかな笑顔で迎えて くれ、麻木は心底、安心することが出来た。それに何より、少なくとも自宅で 静養している間は不特定多数の人間の目にさらされることもなく、幾分、安心 と見なせる。何より、楓自身がストレスを受けずに過していられると思えた。 「お帰りなさい」 「おっ?」 驚いたことに今夜は守や節子ではなく、麦田が付き添っていた。二人はテレビ を見ながらケラケラと笑っていたようだが、麻木を認めると、ほとんど同時に 振り返り、そう声を上げた。子供のように声を合わせた恰好で。元々、愛想の 良い麦田はもちろん、楓の方も痩せたと気付かせないほどの明るい表情だ。 「新年早々、あんた、いいのかね?」 麦田は半病人の楓と一緒に大して美味そうもないゼリーを食べていた。 「ああ。平気ですよ。女房はちび共を連れて田舎に帰っていますからね」 「ね、何で今日はいつもと言葉遣いが違うの? いつもはもっと気安いじゃん ?」 「新年だから。気取ってんの」 麦田の答えに楓が笑い出し、それを見て麦田も笑った。 「年の始めはやっぱり、ピシッと改まらないとな」 「へぇー。てっきり、また嘘、吐いているんだと思っていた」 「何だよ、それ?」 「だって、むぎちゃんって、嘘を吐く時は妙に言葉遣いが丁寧になるでしょ? 」 そう返され、麦田が眉をひそめる。 「は? オレがいつ、どういう嘘を吐いたって言うんだよ? 人聞きの悪い。 むぎちゃんは誠心誠意の塊だぞ?」 「時々、吐くじゃない? 奥さん、田舎に帰ってて、家にいないのに、元気で いるよとか、さ。だから、今日も本当は逃げられたんだとばかり思っていた」 「おいっ。おじさんが真に受けるだろ、この馬鹿。何でそんなつまらないこと を言うのかね? えっ」 「だって、前、二ヶ月もしらばっくれていたじゃん。全然、家にいないのに」 「気付かないふり、してろよ。おまえは独身だから気楽でいいよ。オレなんて さ、嫁さんの家族に気、遣い続けて本当にくたっくたなんだよ」 「うわぁ、リアル」 「うるさい。黙れ。おまえもこういう地に足の着いた、地道な苦労をしてみろ よ。そうすりゃ、そういうのんきな顔、していられないから。一気に老けるぞ ?」 「えーっ。その手の苦労はしたくないなぁ」 「何、甘えてんだよ。若い内の苦労は買ってでもしろって言うだろ? ねぇ、 おじさん」 「ああ。そうだな」 ___そんな意味だとは思わないがな。 麻木は気の毒半分で頷いた。 「お父さんは苦労ばっかりだもんね」 「おまえの親じゃ、そうだろうな」 二人は顔を見合わせ、また笑い出した。どんなつまらない与太話でもおかしく てたまらない仲らしい。 |