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 小岩井を妬みながらも麻木はふと、そう言えば、楓は一人っ子なのだと思い
出していた。もし、一人っきりではなく、兄弟がいたなら。五人の孫も特段、
多数とは認識しなかったのではないか。麦田のように、一人で四人もの子供を
持つケースも考えられる。そう考えれば、麻木にも小岩井同様、孫に囲まれた
賑やかな老後に辿り着く可能性がないとは言い切れなかった。ただ。
___あいつはさほど、子供好きでもなさそうだけどな。
小岩井は孫の話を続けたげな様子だったが、内ポケットで彼を呼ぶベルが鳴り
始め、仕方なく麻木に会釈し、この場を離れることとなった。しかし、麻木が
楓のクローゼットを開けるよりも早く小岩井は戻って来た。
「麻木さん」
「何だ?」
「下に土田さんがお出でです」
「土田?」
 顔色の悪い、痩せた男を思い浮かべる。正月早々、見たくもない顔には違い
なかった。
「オレに用があると言っているのかね?」
「はい。麻木さんがいらっしゃるのなら是非、折り入ってお話をされたいそう
で。こちらにお通してもよろしいですか?」
楓の所属する事務所の副社長ともあろう者が麻木相手に何の用があると言うの
だろう? 首を捻ったが、それでも見当を付けるとすれば、社長の今井と同様
の用件、それに尽きるのだろう。稼ぎ頭の楓に辞められては困る、だから説得
しろとでも言うのだ。そう簡単に察しを付け、麻木は頷いた。
「いいよ。通してやってくれ」
重々しくも真面目な顔で頷くと、小岩井は下がって行った。それと入れ替わり
に現れた痩せぎすで血色の優れない、陰気な男が土田だった。
 こうして面と向かってみると、土田は麻木が思っていた以上に本当に感じの
悪い男だ。およそ好きにはなれない。密かにそう思う。楓は噂話を好まない方
だが、それでも父親に自分の周りにいる人間の大まかな様子を知らせる気遣い
か、ある程度のことは聞かせてくれていた。その情報から察するに楓は土田の
実務能力を買っているらしく、彼の仕事ぶりには安心している口ぶりだったと
思う。社長の今井が噂通り、お飾りの社長なのだとしたら当然、副社長の土田
が一切を取り仕切っていたことにもなる。だったら、その通りなんだろうな、
そう簡単に納得し、麻木は自ら、切り出すことにした。
「お話というのは?」
「息子さんが三月いっぱいで仕事を辞められるのは御存知ですね」
「さっき、社長に聞いたよ。彼にも言ったことだが、あいつが辞めると決めた
んなら、オレがとやかく言ったって到底、覆らんよ」
「そうでしょうね」
土田は意外にも関心無げに頷いた。
「社長は息子さんにこだわっておいでのようですが、わたしは別に構いません
ね。もう実際、次のめどが立ちましたから。正直、誰でもいいんです、今まで
の楓さん同様、一定の収益さえ上げてくれれば」
冷徹な口調だ。今井の言っていた、楓が用意している将来有望な新人で商売が
成り立つなら、もう楓はいらないと土田は算盤をはじいている。
___もっとも、オレにとっても、好都合と言える話だがな。
これ以上、楓に執着する人間がいても、困るばかりなのだ。
「ただ」
「ただ?」
「三月三十一日の最後の日まで、決まっている分だけは確実にこなして欲しい
んです」
麻木は僅かに眉をひそめた。
「何を言うんだ? あいつが、楓がやると言っているんだろう? だったら、
あいつは実行する、絶対に。間違いないはずだ」
「ええ。そのつもりでしょうね。わたしも息子さんの気性は承知しております
よ。彼は賢明で、わざわざ損益を出すような真似はしない方です」
話が長くなりそうだ。麻木は手近な椅子を引き寄せ、それに腰を下ろした。
「つまり?」
「彼には今まで同様、完璧に務める意欲があると思います。ただ、現在は非常
事態下にある。当然、これまで通りというわけには行きませんでしょう。この
状況ではどんなに優れた頭も、精神力も百パーセントは当てに出来ません」
「もう少し平たく、わかり易く言ってくれないか?」
「そうですね。遠回りをし過ぎてしまいました」
土田は仮面のような顔で居直った。
「麻木さん、警察を辞めて、息子さんの護衛をなさいませんか?」

 

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