麻木はため息を吐いた。捜査は行き詰まっている。だが、このため息の原因 は別の所にある。この頃、警察と言う組織は凶悪な殺人鬼を逮捕する気など、 持ち合わせていないのではないか、そう疑わざるを得ないようなおかしな様相 を呈している。内部にいる麻木とて、そう感じるのだ。 ___そりゃあ、悪い噂も立つよな。 そんな不穏な気配に包まれた組織の末端にいて、靴底をすり減らすだけで定年 退職を待つよりも、楓の身近にいて、神経をすり減らす方がよほど有益なので はないか? 見えない犯人の足跡を捜し歩くより、犯人の狙う獲物に隠れて、 最大接近に備え、その一瞬に賭ける方がはるかに効率が良いのではないか? 麻木はそう考えながらも苦しい息を洩らす。オレはその時、役に立つのか? 麻木は答えを知っている質問を自らにぶつけてみなくてはならなかった。 その答えは誰より深く、良くわかっている。 ___役になんか立たない。オレはもう若くない。 今更ながら、麻木は自身の老いが憎かった。老いぼれの自分が戦って、それで 守ってやれるような相手なら、若い楓は易々と自身で対処出来ることだろう。 息子の方がずっと若くしなやかな筋肉を持ち、その上、性格的にも強いところ がある。優しい顔はしているものの、向こう気は強く、むざむざ連れ去られる とは到底、思えない。しかし、もし、その現場に自分が居合わせたなら。 ___守ってやるどころか、足手まといになりかねない。 老いた自分が不甲斐なく、辛くてたまらなかった。もし、自分がのろまなりに 精一杯、犯人と格闘し、その隙に楓が逃げおおせるものなら。それなら自分は どんな惨めな死に方をしても構わないと思う。逮捕までは叶わなくとも、犯人 に、以後の捜査の役に立つだけの傷一つでも、負わせることが出来るのなら。 ___そうすりゃ、オレが死ぬくらい、何てことはない。大得なのに。 麻木はため息を吐いた。犯人を逮捕し、楓をこの生き地獄のごとき現状から 救ってやれるものなら、自分の生い先短い命を投げ出すくらい、造作ないこと だ。こんな命と楓の安全とを交換出来るものなら是非とも、そうして欲しい。 心からそう願っている。 ___嘘は吐いていない。それなのに。 麻木は拳を握り締めた。 ___オレは意気地なしだ。もう少しだけ、もう少しだけでも、オレに度胸が あれば、あの男の申し出に躊躇することはなかったのに。 楓は四六時中、変質者に付きまとわれ、あげく今は連続殺人鬼に狙われている やも知れない身だが、しかし、そんな中にあっていつも穏やかで、不安や恐怖 など知らない顔でふるまっていた。 ___あれは何も感じていないんじゃなくて、精一杯、頑張っていたんだ。 そんな楓を動揺させ、取り乱させてしまったのは麻木なのだ。 ___オレはつまらないことばかり気にして、手前勝手に思い悩んで。終いに はあいつの人格まで疑った。不甲斐ないのはこのオレだ。父親失格だよ。その 上、もしかしたら、何かしてやれるかも知れない、最後のチャンスにも怯んで しまった。 麻木は自分が怯んだ本当の理由を知っている。耐えられないかも知れない。 そう直感したからだ。麻木は我知らず頭を抱え込んでいた。 ___もし、オレの目の前であいつを連れ去られでもしたら。そん時は。 自分が殺され、死ぬのなら我慢出来る。ただ、己の力が及ばなかったと納得し さえすればいい。だが、もし、楓を連れ去られ、自分だけが生きて、その場に 残されたなら。麻木はその思い付きに震え上がる。一旦、失踪したら最後、誰 一人として、生還していない現実。犯人の手に渡ってしまったら、もう死体で なければ返してもらえない。現状はあまりにも暗い。警察勤めの麻木には街の 誰より、わかっている。骨身にしみて、知っている。警察官ですら犯人を追う 術を持っていない今。連れて行かれたら、それが事実上の最期だ。そう知って いるからこそ、麻木はその場に居合わせることに怯んだのだ。 ___とても耐えられない。あいつがどこかに無惨に放り捨てられるその時を 待つだなんて。 |