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「別に何とも思っちゃいないさ。疲れているのか、具合が悪いのか、わからん が。彼女、調子が悪そうだな」 「まぁ、ね。正直、未だ、精神的に立ち直れていないんだろう」 彼女のことを思ってか、真夜気のそれは辛そうなものに変わっていた。 「流産したばかりでね。二度目だから、励ます方も何を言ってやればいいもの か、見当も付かなくてね。何となく傍にいてやることしか出来ないでいる始末 なんだよ」 ふと真夜気が顔を伏せたためにその黒い長髪が彼の横顔から表情を奪ったが、 それでも声ににじんだ悲しみまでは隠せない。流産。麻木はカホの次第次第に 膨らんで行く腹を思い出した。傍らで様子を見ているだけの麻木ですら、その 日々の変化が嬉しくてたまらなかったのだ。実際に身ごもっていた母親の期待 は相当なものだったことだろう。そう想像することだけなら、決して難しくは なかった。なぜならば。 ___カホは本当に嬉しそうだった。 それが膨らみきれぬ内に中身を失ってしまったら。その時、母親になり損ねた 女はどんな心情に陥るのだろう? 不憫だ。そう思った。だが、麻木は適切な 慰めの言葉を即座に見付けることは出来なかった。 「若いから、何度でもチャンスはあるさ」 そんな決まり文句をどうにかして吐き出した。それしか思い浮かばなかったの た。しかし、真夜気は軽く頷きはしたものの、賛同はしなかった。 「彩子は若いからそうかも知れないけど、旦那さんの方はおじさんみたいな歳 だからね。楽観は出来ないよ」 親子ほども歳の離れた夫婦ならしい。麻木は息を吐いた。確かに父親が麻木と 同年代では日々、効率は悪くなる一方だろう。だけど。麻木は考える。確かに 我が子は掛け替えのないものだ。麻木は人一倍、我が子を愛しいと思う質なの かも知れない。だが、それでも始まりは決して、楓ではない。楓のために結婚 したのではなかった。まず、カホがいた。彼女への愛情があって、初めて楓を 得たのだ。人は我が子が全てのように錯覚しがちな生き物だが、それは所詮、 勘違いに過ぎないと麻木は思う。子孫を残すためにだけ結ばれる獣と人は違う はずだ。初めに良き伴侶こそ存在すべきなのだ。麻木の場合、その伴侶が早死 にした、それだけのことであり、今のこの現状はどうであれ、楓のために結婚 したのではない。しかい、それは今、子供を亡くしたばかりの彩子に言うべき 意見ではないだろう。 「縁があれば、少々先になってもその子は生まれるだろうし、縁が無ければ、 夫婦二人で仲良くやればいい」 「そうなんだろうけどね」 真夜気は力のこもらない調子で頷いた。彩子が妊娠を喜び、期待していたこと は近しい真夜気には忘れ難い事実だったはずだ。そう簡単に割り切れるもので はないのだろう。麻木は話題を変えたくて、辺りを見回した。廊下はがらんと して、人が住んでいる気配すらない。 「今日は何で、こんなに人が少ないんだ? 普段だって、賑やかとは言い難い が」 「ああ。ミーヤの用事で出払っているんだよ。結構、難儀な作業らしくてね。 見た目以上に難しい、骨が折れるって小岩井がこぼしていたよ。オレは彩子が あんなだし、妹達も入院しているから遠出は無理だろ? だから、パピと留守 番しているのさ。それなりに守るものはあるんでね」 「ふぅん。で、その、あんたの従兄は元気なのかね?」 真夜気は麻木の言い辛そうな様子に苦笑いした。 「ミーヤって呼べばいいのに」 苦もなく真夜気は笑うが、麻木にとってはあまりに可愛らしく、口にするのも ためらわれる呼び名だった。 「オレの歳じゃ、恥ずかしいよ。他に何か呼びようがあるだろう? 当たり前 の、普通の名前が」 「ミーヤはミーヤだよ。実の姉の彩子だって、ミーヤって呼んでいるのに」 彩子、彼女はミーヤの姉なのだ。 麻木はチラと、先刻、見たばかりの彩子の容姿を思い浮かべてみる。彼女の 弟なら、小鷺が執着するのも致し方ないような、恵まれた容貌なのだろう。 「だけど、他に名前はあるだろう。まさか、本名じゃなかろうから。戸籍上の 名前は一体、何と言うんだ?」 真夜気は彼らしくもなく、すっと表情を無くして、麻木から顔を背けた。 |