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「ミーヤの本名は凄過ぎてね、爺さんくらいしか、口に出して呼べないんだ。
それに。名前なんて、親が勝手に押し付けたものだ。本人には呼び名があれば
それでいい話じゃないか」
真夜気は気を悪くしたのか、早口にそう言ったものの、すぐに気を取り直し、
口調を改めた。
「ミーヤは良い子だよ。本当にね。今は、あいつの人生の最初の友人のために
そりゃあ、必死の作業中さ。丈夫じゃないんだから、無理しちゃいけないんだ
けどね」
麻木には真夜気が言う、ミーヤの本名の凄さとやらはわからない。だが、それ
でも何とはなく、名前については聞かない方がいいのだと理解した。
___まぁ、いろいろあるのさ、その家ごとにな。
そして、ふと思い出す。楓の名を付ける際の我が家の騒動を。
___大騒ぎだったよな。オレ達夫婦のせいじゃなかったけど。
自分達の命名は失敗だったと感じていたらしい兄夫婦がすっかり過熱し、やけ
に煩く口出しして来たからだ。スガとまともに読んでもらえず困る、つまり、
凝った名付けは間違いだった、だから誰にでも読める、簡単な名前にするべき
だと二人は言い張った。一理ある。だが、父親となったばかりの麻木は我が子
にありふれた名前は付けたくなかった。職業柄、どれもこれも耳に覚えのある
犯罪者の名に被ってしまうようで嫌だったのだ。埒の明かない言い争いの終い
にカホが楓という名を持ち出した。それが楓の生まれた日の誕生花なのだと。
誰にでも正しく読め、その上、あまり同名の級友はいないだろう適正な名前だ
と、その場で決まった楓の名前。楓本人が気に入っているのか、否かを聞いて
みたことはないが、不満も聞いていないのだから、まあまあの線なのだろう。
第一、不満があれば、せっかく歌手になる時にこれ幸いと希望の芸名を付けた
はずだ。
 麻木は懐かしい思い出から現実へ立ち戻ってみる。確か、ミーヤの話をして
いたはずだ。彼はマンション中のスタッフを引き連れ、人生最初の友人とやら
のために、どこかに何かの作業をすべく出掛けていると聞く。人生最初の友人
は何となくわかる。だが、必死の作業とは一体、何を意味しているのだろう。
麻木のイメージの中ではミーヤは頭脳働きしかしない人間だった。想像しても
仕方のないことは聞くに限るだろう。
「それって、一体、どんな作業なんだ?」
「さぁ。オレは現場って行ったことがないからね、具体的には知らないけど。
でも、何かを引っぱり出す気ならしい」
「引っぱり出す?」
「そう。小岩井が言っていたんだけど、発掘作業みたいなのりらしい。まぁ、
大抵、あのオッサンの話は大袈裟なんだけど」
聞いた分だけ、更にわからなくなる説明だった。結果、麻木は作業の内容など
気にかけないことにした。好奇心に駆られ、微に入り細に入り聞きたくなって
みても、真夜気が困るだけだ。
「ふぅん。だが、そんな肉体労働をして、身体の方は大丈夫なのかね」
「黒永が付いているから、無茶はさせないだろう。それにまさか、あのミーヤ
が汗かいて頑張るわけないし」
「ああ、そうだな。人を使えば済む話だな」
真夜気は何か思い付いたように麻木を見やった。
「何だ?」
「小鷺がおじさんに何をどう言ったのかは知らないけど、ミーヤはごくまとも
だよ。元々、身体は丈夫じゃないし、あんまりストレスがかかると急激に視力
が落ちちまう病気だから、若干、家に閉じこもりがちなだけで。別に寝たきり
ってわけじゃないし、普通に何でも出来るんだよ。あんな奴らの手なんか借り
なくても十分、生活出来る。頭は人の万倍、切れるんだ。だから、変な病気を
想像してくれなくていいからね」
「ああ。しかし、難儀だな。視力に差し障りがあっては不自由だろうに」
「忙し過ぎるんだよ、あいつ。食って寝ていりゃ、それでいいのに」
真夜気はため息を吐き、それから思いがけないことを言い出した。
「ねぇ、御飯食べに行こうよ」
「は?」
あまりに唐突な申し出に麻木は間抜けな声を上げた。それに苦笑いし、真夜気
は続ける。
「どうせ、彩子は愛する旦那の待つ家に帰るし、オレはミーヤがいないと餓死
寸前。一人で食べに行くのも面倒だし、付き合ってよ」
「あんただって、家に帰れば、家族が待っているだろうに」
「誰もいないよ、妹は二人共、仲良く入院しているんだから」

 

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