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「大変って、何のことだか。オレにはさっぱりわかんないよ」
真夜気は冗談で返した上で苦笑もしたようだ。
「大丈夫。だって、オレにはミーヤがいる。ミーヤがいれば、いつでもどこで
もハッピーさ」
「だが、具合が悪いんだろ」
「まぁね。だけど、小鷺が大騒ぎするほど深刻じゃないよ。本人が時々、目が
悪くなるくらい、どうってことはないって言っているんだから。小鷺や小岩井
が言うと、さもミーヤの頭が破綻していて、もう終わりみたいに聞こえるけど
さ、たまぁにボンヤリするくらい、いいじゃないか。あいつは普段、働き過ぎ
なんだから」
話す内に真夜気の矛先は小鷺達だけでは収まらなくなって来たようだ。
「大体、あいつ、頭、使い過ぎなんだよね。ここんところ、奇妙な帳簿の裏を
取るんだって猛勉強していたし、頭が飽和状態になっていたんだろう。医者の
オレでも理解不能の帳簿を文系の人間が解読しようってんだから、そりゃあ、
難儀だよ。一筋縄で行くわけがない」
「どんな帳簿を解読するって?」
「アメリカに住んでいる叔父が送って寄こした帳簿。叔父の研究費って、我が
家の大財布から出ているからね。全面的に管理しているミーヤの監査が入るの
は当然でしょ。で、その収支に不審な箇所があるって今、あいつ、本気で研究
してんの。薬品の名前見たってさっぱり、何のことだかわからない文系の素人
じゃ普通はお手上げ、参ったって言いそうなものなのにあいつ、わかるように
なればいいって猛勉強しているんだよ。クレイジーだよね、ったく」
「それはまた」
麻木も感心半分に呆れ、絶句する。
「大した心がけだな」
「本当。何の実験しているのか、やっと見当がつくようになって来たって言う
から、侮れないよな、ド素人も」
そんな難儀で、労力を要する作業に没頭していては小鷺に構っている暇など、
あるはずもないのだろう。それどころではないのだ。しかし。麻木は考える。
その小鷺に頼めば、厄介な帳簿とやらも速やかに解析出来るのではないだろう
か。小鷺本人には無理でも、小鷺製薬のツテがあれば専門の研究者を紹介して
もらえそうなものだ。
「小鷺に頼めば、早く済むんじゃないのかね?」
真夜気は瞬時にその表情を変えた。
「家の中のことを外部に漏らすなんて、ミーヤはしないよ。それに。あいつに
何かを頼むなんて、オレが絶対に嫌だ。オレの一番の心労はあいつの存在なん
だ。消えてくれればいいのにって毎日、思うもん」
「そんなに嫌いなのかね」
「嫌いだね。あの匂いが嫌だ。ミーヤが嫌がるから、あんまり露骨に意地悪は
しないけどね」
「従兄の方は小鷺を嫌ってはいないんだな」
真夜気は即答はしなかった。一呼吸分だけ、黙ったまま運転を続け、それから
おもむろに口を開いた。
「さてね。特に好きだとも思えないけどね」
それは子供じみた負け惜しみなのだろうか。麻木が考える間に真夜気は言葉を
繋いだ。
「ミーヤはオレと小鷺なら絶対に、間違いなくオレを優先してくれる。従弟の
方が大事だって言うんだから特別、あいつを好きってわけじゃないんだろう」
麻木は黙っていた。会ったこともないミーヤの真意がわかるはずもない。
「ミーヤはね、小鷺に借りがある。それだけの話だよ」
「借り?」
「そう。随分、昔のことだけどね。ミーヤのピンチにあのボンボン、頑張って
くれたことがあんの。それで小鷺は高校で一年、ダブることになった。自分の
ために留年させちまったって、ミーヤは責任感じているんだよ。だからオレが
大嫌いだって言ったって、縁までは切らない。だって、向こうはミーヤを好き
だから。だから、多少は我慢してやんなきゃならないんだろう、オレをもって
しても、さ」
そうだとすれば、無遠慮にも見えがちだった真夜気の方も、小鷺には遠慮して
いたのだ。真夜気が来る度、小鷺ははじき出される。それでも真夜気は小鷺に
は遠慮していたと言う。昔、小鷺がミーヤのために留年したが故に。
___義理か。
貸しと借り。そればかりは誰しも無視してはならないものらしい。
「イタリアンでいいよね。いい店、知っているから楽しみにしといて」
真夜気は早々と内なる気分転換を終えたらしく、御機嫌な様子で車をガレージ
へと滑り込ませる。
「食事は楽しまないとね。ミーヤがそうしろって言うからね」
真夜気は本当に従兄が好きで、彼を頼りにもしているらしい。実父は奇人で、
実母は少なくとも身近にはいない。身を寄せ合っていただろう妹二人は生きる
し屍と化している現状、彼のミーヤ頼みが加算して来るのも仕方ないことかも
知れなかった。
「美味いんだよ、ここ」
嬉しそうな真夜気が麻木にはどこか不憫に見えていた。

 

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