真夜気は外食に不慣れと思しき麻木に十分、配慮をした店選びをしてくれた が、麻木にその店名は読めず、楓には読むことが出来た。今更、出来の良い楓 を相手にひがんでみたところで何にもならないことくらい、さすがに承知して いるつもりだ。楓の記憶力に努力を持ってすれば、イタリア語の単語くらいは 読めて当然だし、麻木はと言えば、並みの記憶力しか持ち合わせがないくせに ささやかな努力さえもしなかった。その結果、どうにかこうにか日本語だけを 読み、書くことが出来る。ただ、それだけの話なのだ。 ___こんなことでいちいち、すねたりいじけたりするのはオレが馬鹿だから だ。それでも。オレも馬鹿なりにどうにかして、楓のレベルに合わせる努力を しなくては。これからは、ずっとそうしてやらなきゃならないんだ。 麻木は密かにそう決意しながら松の実がぎっしりと並んだケーキを引き出し、 大雑把にも包丁でそれを切り分ける。 「これは日持ちする物か?」 「するんじゃない? クリーム系じゃないし」 「それじゃ、明日、田岡が来たら出してやってくれ。麦田の奴は当分、来ない だろうからな」 「ちはるちゃんとケンカしなければ、ね」 楓はくすくすと遠慮がちに笑い、与えられた自分の分を松の実を気にすること なく、平然と食べ進めている。麻木は正直、楓がそんな物を食べている様子を 初めて見ていた。麻木自身にケーキを食べる習慣がなく、楓に買い与えたこと もなかったからだ。 ___兄貴達はオレがいない隙にやっていたのかも知れないが。点数稼ぎに、 な。 兄夫婦は楓の食の好みを万事、把握していたようだ。結局、何も知らずにいた のは麻木だけだった。ならば、楓には一体、あといくつ、麻木の知らない秘密 があるのだろう? 麻木は黙っていられなくなって聞いてみることにした。 「楓」 「何?」 「おまえ、こういう物は好きなのか?」 楓は不思議そうな顔で聞き返す。 「こういう物って、ケーキって意味?」 「ああ」 「こういうパサパサしているのは好きだよ。生クリーム系はあんまりだけど」 初耳だ。しかし、これは麻木が楓のために選んだ菓子ではない。真夜気が遅く まで付き合わせたお詫びだと言って持たせてくれたそれ。食事の最中、ミーヤ の言いつけを守ってか、真夜気は饒舌で始終、御機嫌だった。その彼が一度、 席を立ち、カウンターの向こう、キッチンへ足を運んだのはきっと、この菓子 を頼むためだったのだろう。帰り際、見送りに出て来た中年のシェフとその妻 らしい二人連れは真夜気に紙袋を手渡し、にこやかな笑顔で言った。 『ミーヤ様によろしく』 その様子からミーヤへの土産なのだとばかり思っていたのだが、実際は違って いた。真夜気は麻木が車を降りる際に笑いながら、白い紙袋を押し付けて来た のだ。 『これで御機嫌を取りなよ。待ちくたびれて、むくれている頃じゃない、お宅 の楓さん』 『楓? オレは楓が家で待っているだなんて、そんなこと、一言も言ってない ぞ』 真夜気は鼻先で小さく笑った。 『隠したって、意味ないよ。誰だってわかる。おじさん、食事してても時々、 上の空だったもん。よっぽど可愛い人が待っているんだなって、誰でもわかる ぜ、あれじゃ』 知り合ったばかりにも関わらず、よくもそう易々と麻木の仏頂面の内側を見て 取れるものだ。彼が言う通り、本当に占い師の家系なのかも知れない、麻木が 感心し、そう思った途端、真夜気は言った。 『口止め料にしては安過ぎるかな』 『口止めって、オレは何も言わん。それより、これは受け取れない。店の代金 もあんたが払ったんだし』 『オレの方が金を持っているんだし、今夜はオレが付き合ってもらったんだ。 当然でしょ? それにおじさんが付き合ってくれなかったらオレ、明日の朝、 餓死していたかも知れないもん』 『だが』 『それじゃあ、もう一つ、無理を言うとしよう』 『何だ?』 『オレと一緒だったって、楓さんに言わないでくれる?』 真夜気は子供っぽい冗談のような、いや、趣旨のわからない要求を加え、麻木 にそれ以上の抵抗をさせなかった。 『どういう意味があるんだ?』 おかしな条件に麻木は疑念を覚えた。どうして、自宅で待つ楓に真夜気と一緒 に食事をして帰ったと伝えてはならないのか。隠す必要などないではないか。 二人は顔見知りだし、何ら変わったことはしていないのだ。 『あのね、楓さんがどんな反応を示したのか、後日、教えて欲しいんだ』 『何で? 意味がわからんよ』 真夜気はごく小さく、笑った。 『そうだろうね。だけど。我が家は異常と言っても過言じゃないらしい一応、 の親子だからな。普通の親子っていうのがどれくらい、嘘を付き合えるのか、 知りたいんだよ。どの程度まで相手の言うことを鵜呑みにするのか、どの程度 から疑い始めるのか。軽いデータが欲しいと思っていてね。ちょうどいい機会 なんだよ、これは』 『オレの嘘くらい、あいつなら見破るだろう。あまり面白い結果は期待出来ん ぞ』 『息子の一人くらい、だませるでしょ。じゃ、おやすみ。報告を楽しみにして いるよ、おじさん』 |