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 誰に対しても分け隔てなく、同量、同質の好意を示し、同じように接する。
そんな神めいた至高の離れ技を演ずるより、いっそ、自分が選んだ一人だけを
愛し、その人にのみ、真摯な接し方をすればいい。それの方がよほど人間的で
あり、いや、むしろ、そんな程度の調子の良さこそ人間らしく際立った、他の
生命体との違いなのではないか。それだけが人間の良さなのではないか。麻木
はそうまで考えてみる。そして、もし、その際立った個性が楓の身に備わって
いなかったとしたら。それは楓が人間としての特徴を、価値を持たないという
ことにもなるのだろうか? いや。麻木は小さく頭を振る。いくら何でも話が
飛躍し過ぎている。遅まきながら、そう気付くことは出来た。
___オレは本当に馬鹿だ。飛躍するにも程がある。これじゃ、楓にしてみた
ら、とんだ落とし込みじゃないか。あいつには好きな女だっているんだ。オレ
が未だ、会っていないってだけで。
 麻木は自嘲し、苦くため息を吐いた。確かに、楓の感情表現は乏しい方なの
かも知れない。少なくとも、傍目にあからさまであることなど、まずなかった
と思う。しかし、それは単に彼が持って生まれた知能で体良く、自らの感情を
包み隠してしまう、それだけの結果だったのかも知れないのではないか。
___そう、だ。利口な人間って奴は足元を見られるような、腹の内をさらす
ような、そんな真似は恥ずかしくて出来ないって聞くからな。
楓は聡明すぎて、凡人には若干、量り難い部分はあるものの、本質的には何ら
悪意のない善人だ。そう信じる今だからこそ、麻木は是が非でも楓の想い人が
決して、楓の夢や幻の住人ではないという証が欲しかった。その女性が生身の
人間として実在し、やがては楓と結婚するのだという確約が、ただ、その人の
口からそう聞くだけでいい、それを聞いて、安心してみたいと強く思い付いて
いた。実際に一目でも楓と彼女の仲睦まじい姿を見ることが出来れば、こんな
馬鹿げた不安も瞬時に解消されるはずだ。近い将来、二人が結婚し、やがては
子供にも恵まれる。そんな平凡で温かな未来を信じてみたくてならなかった。
そして、そんな楓の日常に時折でいい、家族として触れることが許されたなら
ば。それこそが自分の望む未来であり、生涯を通じて抱いて来た一つきりの夢
なのかも知れない。そう気付きながら麻木には今、そこに自分が辿り着けるで
あろうという予感が微塵も感じられなかった。
___本当に物の見事に、何にも描けやしない。妄想ですら楽しめない程の、
そこまでの叶わぬ夢なのか。
自嘲を込め、麻木は一息吐きながら、更に考え合わせてみる。それは連続殺人
鬼にもたらされた恐怖から、なのだろうか? 殺されるかも知れない、そんな
恐怖がのんきな未来を信じさせてくれない、ただそれだけの話なのだろうか。
___いいや。残念ながら、そればかりじゃないな。
強い死の恐怖ばかりではなく、ごく静かでひっそりとした不安が麻木を苛み、
将来を楽観させてくれないのだ。
___オレが恐れているのは。
麻木が恐れているもの、それは楓の性格そのものだった。楓のあの性格で結婚
などするだろうか? 結婚を考えるような次元で楓が他人を求めているのか、
否か、それすら麻木には見て取れないのだ。
___こんなことじゃ、いかんともし難いな。
「お父さん!」
突然、楓が強く麻木を呼んだ。未だ嘗て一度たりとも、そんな調子で呼ばれた
ことはなかったはずだ。麻木が思わず、ビクリとすると、更に楓は叫んだ。
「お父さんてば、今、何考えていたの?」
「何だ、おまえ。突然に」
楓の強い非難めいた口調にうろたえながら、麻木は聞き返す。
「大層な剣幕だな。いきなりでビックリするじゃないか?」
「だって今、お父さんの方からすっごく嫌なもの、感じたよ」
「嫌なもの?」
「お父さん、悲観的になっていたでしょ? それも最悪なレベルで」
「確かにな」
言われる通り、確かに麻木は悲観していた。何しろ自分の行く先、未来に全く
明るさを感じ取ることが出来ないのだ。
 そりゃあ、悲観もするだろう。そう一人ごちながら麻木はふと目に入った、
傍らに突っ立った楓の両手を取った。
「何?」
風呂上りにも関わらず、ひやりとする感触は彼の子供時分を思い起こさせる。
麻木にはひどく懐かしいものだった。楓は妙に体温の低い子供で、夏でも抱き
締めるとひんやりとした。それなのにいつの頃からか、そう、あの九死に一生
を得た事故の後、不可解な言動が失せると同時に彼の体温も通常通り、温かな
ものへと変わって行ったのだ。それがどうして、再び下がったのだろう? 
「どうして、こんなに冷たいんだ?」
「どうしてって、そんなこと、わからないよ。これが平熱だもの、健康だし」
そう言った後、楓はくすりと笑った。
「ま、今はダウンしているけどね」
楓は曲がりなりにも笑っている。その笑顔を間近で見ていながらしかし、麻木
は信じ切れなかった。握り締めた楓の指先はあまりにも冷たく、とても幸せな
人間のそれではなかったからだ。
「心配いらない」
楓は麻木の心中を察したように、そう言った。
「仕事は三月いっぱいで辞める。めどが立ったからね」
「辞めても、いいのか? 大事な仕事なんだろう? 後悔しないのか?」
「しない。未練も無い。それほど好きなことでもなかったし」
好きなことでもなかったし。麻木は息子の言葉を反芻しながら、ふと、四人の
被害者達の、結果的には楓の知人達から事情を聞いて回っていた頃、内の一人
に言われたことを思い出した。
『楓って、どうして、あの頭で歌手になんかなったんだろう? 摩訶不思議な
話だよね。別に歌手になりたかったってふうでもないし、歌っていて超楽しい
ってふうもないし。女にもてて嬉しいってふうもない。時々、思うんだけど、
あれはただの資金稼ぎと割り切っているんじゃないのかな。だって、いくら頭
が良くたって、サラリーマンじゃ億の金は貯められないのかも知れないけど、
歌手なら当たれば一発だもんな』

 

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