「僕は嫌い。みかんは嫌いだよ」 「食えるんだから不服を言うな。食えないような物、買って来たわけじゃない んだし。全く持ってどうってことない話だろ?」 「嫌がらせじゃん?」 「違いますぅ」 「絶対、嫌がらせ」 「絶対、違いますぅ」 こんな賑やかで、馬鹿馬鹿しい騒ぎの中に好き好んで押し入って来る連続殺人 犯など、いないだろう。そう考え、麻木は出掛けると腹を決めた。麻木が立ち 上がるのを見た楓が素早く、そして幾分、不安げに聞いて来る。 「お父さん、どこか、行くの?」 未だコートを脱いだだけの恰好でいる麻木を内心、ずっと不審に思っていたの かも知れない。機を得たように楓は早口に尋ねて来た。 「こんな、もう遅い時間だよ?」 子供が心配して尋ねるような詰問口調だ。いや。子供時分の方がよっぽど大人 びていた気がする。そんなことを思いながら、麻木は息子の顔を見下ろした。 「ちょっとな」 「行くって、ねぇ、どこに行くの?」 「おまえの荷物を取りに行って来るだけだ。すぐ帰る。あんた、もうしばらく 居てもらえるかね?」 麦田は笑って返した。 「うん。OKだよ。誰もいないからね。帰っても仕方ないし。何ならしばらく 居座っちゃおうかな。ここなら食いっ外れないし、待遇良いからね。だから、 おじさん、御心配なく」 「すまんな」 「それじゃ、いってらっしゃい」 楓は行く先を聞き、安堵したのか、気を取り直したように麻木の見慣れた笑顔 に替えてそう言った。 「ああ。じゃ」 未だ熱は残っているし、立てばふらつきもする。だが、楓は訪ねて来る人間 が一様に驚く程、機嫌が良く、誰にでも愛想が良かった。そんな中、玄関先に 置かれたままになっていた大きな菓子箱は社長の今井が持って来た物だった。 彼は麦田に箱を預け、引き返したそうだ。 『お宅を訪ねたんですよ。そうしたら、奥から楓の笑い声が聞こえて。とても 楽しそうだったから、麦田には呼んでもらわずにそのまま、帰ったんです』 今井は自ら話がしたいと昼過ぎ、麻木を訪ねて来た。その時は彼の仕事の時間 が迫っていたし、署内でもあったから短い立ち話をしただけだ。今井は苦笑い しながら言った。 『やっぱり、外じゃ、気を張っているんだな。あんな明るい笑い声を聞いたの は、初めてでした。十何年も一緒に仕事をしていて、情けない話だけれど』 その今井と今夜、改めて待ち合わせをしている。今度こそ、何らかの手掛かり が得られるかも知れない。麻木は密かに期待して、その場に向かう。何しろ、 初めて、自分から事情を説明してくれそうな人間が現れたのだ。 『すみませんでした。無理はさせないように十分、心掛けていたつもりでした が、配慮が足りなかったのかも知れません。楓が体調を崩すなんて、こちらの 手落ちです』 色白でポッチャリとした輪郭のせいか、今井はのんびりとして見えた。 『楓が』 今井はふと麻木が楓の父親であることを思い出したように言い直した。 『楓さんが恨みを買うとは思えません。もし、動機が怨恨だとしたら、狙いは 僕達の方にある。もしかしたら、犯人は楓を引退させたいのではないでしょう か。そういう類の嫌がらせだとは思いませんか?』 彼はいきなり、そう切り出して来た。 『嫌がらせで四人も殺すかね?』 『普通はないと思います。だけれど、もし、楓がいなければ、うちの事務所は 確実に潰れます。そしてその傷はやがて、本体、母親の方の事務所にも効いて 来る。その内、致命的な影響が出ます』 『そうだとして。心当たりでもあるのかね?』 今井は首を振った。 『これと思う者はいません。ただ』 『ただ?』 |