『僕だって、あの四人とはしょっちゅう、もめていましたからね。正直、この まま、犯人が逮捕されなければ、僕自身が容疑を掛けられることだって十分、 有り得る話でしょう。それだって、事務所を潰すには事足りる結構な嫌がらせ になりますよね』 今井は重いため息を吐いた。 『実際、僕にもう少し度胸があれば。そうしたら、本当に殺してしまっていた かも知れないから』 『随分、物騒な話だな』 『そうですね。ええ。でも、それくらい、あの四人は質が悪くて、とても正気 とは思えなかった。だから』 口ごもる今井の様子を見れば、楓の身近にいた彼があの被害者達の言動を詳細 に見知っていたことは明白だった。恐れを噛み殺し、麻木は質問した。 『それを、楓は苦にしていたかね?』 『わかりません』 今井はそう答えた。 『わからない?』 『ええ。彼、辛いとか苦しいとか、わかりやすい表現はしませんから。少なく とも、僕なんぞには何も言いませんでした。本当に一言も』 そう言った今井の辛そうな息遣いを麻木は思い返してみる。彼は何か、腹に 決めたようにも見えた。だからこそ、来た。父親であり、刑事でもある麻木を 自ら訪ねて来たのだ。ならば、彼こそが重要なキーパーソンとなってくれるの だろうか? 自分達捜査陣は今度こそ、何らかの果報を入手することが出来る のだろうか? 誰に言われるまでもない。捜査は行き詰まっている。いっそ、 第五の事件が起き、犯人がうっかり重大な手掛かりを残すようなミスを犯して はくれないものだろうかと、期待する向きさえある有様だ。麻木は忌々しさと 期待とに責め立てられながら、待ち合わせの店で今井の到着をひたすら待って いた。 駅裏の小さな喫茶店。その店の明かりが柔らかく輝き始めた気がして、麻木 は窓の外に目をやった。こんな薄い光が大きく感じられるほど、窓の外に光は 失われていた。日は暮れて、通りを行き交う者もない。世間では未だ正月だ。 この商店街も、ほとんどがシャッターを下ろしたままで、時折、風に連絡先を 認めた貼り紙がめくられる程度の動きしかなかった。暗い、青紫色の空が次第 次第に黒ずんで行く短い時間、麻木はその寂しげな美しさに見入っていた。 もしかしたら。人の感情なぞ、所詮、この地上の美しさに比べれば塵以下の 価値しかない機能に過ぎないのかも知れない。そして、そんな価値しかないの なら、いっそ何の感情もなければ、少なくとも殺人事件は激減するのではない か? そうなれば、誰でも、皆、平穏に暮らせるのではないか? そう考えた 後、すぐに麻木は思い直した。もし、人間に感情がなかったら? 確かに苦は ないだろう。しかし、同時に幸せもまた、有り得なくなるのではないか? ___そんなの、まっぴらだ。 楓を大切だと思うこの感情まで失いたくはない。自分の幸せは楓を大切に思う この感情こそを源にしている。それがなければ当然、喜びなど何一つとして、 生まれなかったはずだ。そして、その仕組みこそがたった一つの真実なのだと 理解しなければ、これから先、麻木は幸せになれそうにもなかった。捜査状況 はあまりに厳しい。 ___おちおちなんか、していられないんだ。まず、オレが覚悟しなくては。 何があっても、楓だけは守る。そう決め込んでいなければならないのだ。 「お待たせしました」 顔を上げると、約束の時間通りに現れたというのに、今井は本当に疲れた顔を していた。今井の分のカップが運ばれて来て、その店員が去る。そんな致し方 ないロスタイムを辛抱しながらやり過ごし、麻木はようやく口を開いた。 「単刀直入に聞こう。どんな些細なことでもいい。我々は手掛かりが欲しい。 とにかく、あんたが知っている細かい、それぞれの事情を教えてはくれないか ? 人間関係みたいな、そんな立場上のことでもいい。あんたから見た心情と 言うか、警察からは見えないものがあったと思うんだ」 今井は頷いた。 「殺された四人は皆、お互いを嫌っていました。警察が思うより、もっと強く 憎悪していたと言ってもいいでしょう。自分のことは棚に上げて、罵り合って いたんです。彼らはお互いに同じことを考えていて。あいつのせいで楓は迷惑 している、あいつこそ、諸悪の根源だって。だから、最初、青田があんなこと になった時、僕はてっきり、他の三人の内の誰かがやってしまったんだ、そう 思いました」 |