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 "ふうちゃんへ。おかげさまで無事、女の子を出産しました。ふうちゃんが
プレゼントしてくれた最新携帯はやっぱりとってもgood!でしたよ。ムービー
でバンバン撮って、バシバシ可愛い様子を送りますね。楽しみにしていてね。
東京へ戻ったら、改めてお礼に伺います。じゃあ、また。麦田 ちはる" 
存分に平素の親しさが窺える文面だ。しかし、麻木は見慣れぬ色柄の絵ハガキ
を見据え、考え込まなければならなかった。麦田夫妻は楓の今の住まいを本当
に知らないのだろうか。
___親しい仲なのに? こんな挨拶状、オレが読んだって意味がないのに。
 そんな携帯電話にまで気の回る楓だが、今、回っているのはその目の方だ。
麦田の妻のハガキは麻木が預かったまま、もう一月が経とうとしている。それ
でも忙しい楓にハガキを渡す機会は訪れなかった。そろそろ彼女も帰京するの
ではないか。ハガキが届いたことはとうに電話で伝えおいたが、そこには麦田
の妻が自分で描いたものらしい、色鉛筆で彩色された赤子の絵があった。楓は
赤ん坊本人に会う前に一見しておくべきなのではないか。そう考えて、ハガキ
一枚を懐に携え、麻木は久しぶりに楓の住むマンションへ出向き、またもその
同じ顔に出会したのだった。
___まったく。おかしなこともあるもんだ。
麻木は半ば、うんざりもしていた。このマンションでは彼、小鷺にしか住人に
出会した試しがない。
___真夜気は住んではいないようだからな。
立ち話の最中だった小鷺は麻木と目が合うと、さも嬉しそうな表情を見せた。
本当に久しぶりに懐かしい顔に会えて、嬉しくて仕方がないのだと言いたげな
瞳の輝き様。それは紛うことのないものだったが、今日の麻木にはその喜び様
こそが不可解で、まさか自分まで一緒になって喜ぶ気にはなれなかった。小鷺
ほど恵まれた男がなぜ、自分のようなつまらない男と出会ったくらいのことで
こうも嬉しげな素振りを見せるのか、その心理を束の間、解析しようと試みた
自身の変化も気にはかかったものの、それを深く考えてみる気にもなれない。
所詮、他人事は面倒でしかないのだ。
___楓のことなら、一晩中でも穿鑿し続けるがな。おかしなものだ。つい、
この間までは良い印象しか持っていなかったのに。
実際、小鷺は大沢と立ち話の最中だ。わざわざ立ち止まって、話が終わるのを
待ってやる理由はないし、そんな期待まではされていないだろう。麻木は足を
止めることなく、玄関前のホールを突っ切ることにした。
___それにしても。
なぜ、元々、小鷺の人間性に感銘すら覚えていた自分が同じ人間を相手にここ
まで関心を持てなくなったのか。それを考えようとして、麻木はすぐに真夜気
に思い当たった。少なくとも、彼が遠因にはなっている。そう考えた。
___そう言えば、あいつ、小鷺の匂いがどうとかって言っていたな。
真夜気が毛嫌いする小鷺の匂いとやらが一体、何を比喩しているのか、麻木に
は皆目わからないことだったが、きっと小鷺にはそんな異臭と例えられるよう
な嫌な一面もどこかにはあるに違いない。
 どうやら自分は本気でそう思い込んでしまったらしい。そう気付き、麻木は
小さく苦笑した。人間は食事を共にすると親しくなる。麻木はセオリー通り、
真夜気の方をより自分に近しい人間と感じ、彼と感覚を共有し始めてしまった
のかも知れない。
___そうだな。どの道、誰だって、薄皮を一枚ずつ剥がして行けば、他人に
嫌われる要因はあるんだからな。
そう考えてみれば、小鷺の人当たりの良さすら隠し持った嘘の一部分のように
感じられて来た。
___別に、何の根拠もない話だが。
それでも何故か、麻木は自分の勘を疑えなかった。
___これも楓の影響か、な。
少しずつ、現実主義者のはずの自分が勘が頼りの一人息子に感化されて行く。
そう思い付いて、麻木は苦笑を深めた。
___楓がオレに似るよりはよほど、ましか。見てくれも中身も楓はそのまま
でいた方がいい。誰のためにも。
実際、もし、楓の容貌が少しでも麻木に似てしまったなら、麻木自身が悲しい
と嘆くだろう。ファンでなくとも綺麗な楓は好ましい。父親としては自慢なの
だ。
「申し訳ありません。未だお帰りでないんですよ」
小岩井が監視カメラで麻木を認めたのか、飛び出して来た。
「中で待てるかね?」
「残念ですが、今日は楓さんに承っておりませんので。こちらから電話で確認
させて頂ければ良いようなものなのですが、とにかくお忙しいらしく、一切、
取り次いでくれるなと仰せで。申し訳ございません」
「そう言うと思ったよ」
「申し訳ありません」
小岩井はすまなそうにもう一度、頭を下げた。さも実直そうな男。手堅い幸せ
が似合いそうな。麻木は自分にはないものを小岩井から感じ取るのだ。
___きっと。ずっと欠かさず、何事も余さずに家族と腹を割って話し合って
来たんだろうな。面倒がらず、億劫がらずに。本当の勇気があるんだ、精神的
な。
もしかすると小岩井こそ、これからの人生のモデルなのかも知れない。麻木は
そう思い付き、いつにない勇気をふり起こしてみることにした。余計なことは
一切、話さない、そんなこれまでの消極的なやり方はもう使わない。少しずつ
でも自力で自分を変えて行く。その覚悟があるのだと信じた。
「お孫さんはどっちだった? もう生まれたろう?」
小岩井は瞬時に相好を崩した。五人目でもこんなに嬉しいものなのだ。
「おかげさまで。女の子でした。とっても元気な子でして」
「よかったな」
「ありがとうございます」
麻木はセカンドポーチの中から封筒を取り出し、小岩井へ差し出した。
「中にハガキが一枚、入っている。楓が帰ったら渡してくれ」

 

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