麻木は内心、ぞっとした。ここで失敗すれば、また楓の神経の具合へと話が 戻ってしまうような気がする。そして、それは大抵、悪い方へと転ぶ。この手 の勘だけは当たる。そう麻木は自覚している。そして今、楓の置かれた状況を 思えば。自分が割り切れないと思うことは何でも、全て嘘であり、作り話だと 切り捨ててしまうこれまでのやり方に楓を付き合わせるのは愚策であり、道徳 的にも良くないことだと思えた。楓は半病人なのだ。 「まぁ、そうだな。一概に全て、嘘っぱちとは限らないだろう。中には根拠と 言うか、その、信じるに足る理由があるものもあるやも知れん」 滑稽なほど、しどろもどろだ。麻木は自分の額に見る見る噴き上がる冷や汗を 手のひらで力任せに拭った。 「迷信て言ったって、数多あるんだ。中には全く根拠がないわけではないもの もあるらしいからな。そうでなければ、あんなたくさん、信じ込む人はいない だろうし」 麻木の持って回った言いように楓が苦笑いする。 「そんな無理しなくていいのに」 「別に嘘は吐いていない。オレに嘘は吐けない。おまえだって知っているじゃ ないか」 以前。真夜気の冗談を真に受けて、楓に嘘を吐いてみたものの、楓はまるで かからなかった。おまけに提案した真夜気にとっては麻木に承知させるための 方便に過ぎなかったらしく、そんな提案をしたことすら、さっぱり忘れている ようだったではないか。麻木は一息、吐いた。未だ、自分は無理をしていると 思う。だが、決して、口から出任せを言っているつもりはないし、嘘を吐いて いるわけではない。以前よりは少しだけ柔軟になったと思うし、どんな話でも 一度は聞いてみる、それくらいは出来るようになった。何とかして、楓の見、 聞いている世界をせめて、想像はしてやりたい。ここで話を終わらせるわけに はいかなかった。 「この頃な。まじないの類はともかく、夢なら、少しは何らかの根拠があって 信じられて来たんじゃないかと思うようになったんだ」 「夢?」 楓は少しばかり、怪訝な顔で聞き直して来た。 「夢は潜在意識が見せるものなんだろ。丸ごと、テレビの受け売りだが」 楓は微笑んだ。麻木がそんな内容のテレビ番組をおとなしく眺めていたことが 面白いらしい。それはそうだ。ついこの間までの麻木はその手の番組は低俗だ と問答無用で切っていたのだから。 「夢ね。そう言えば、変な夢を見たな、昨日」 「昨日? 変なって、どんな夢のことを言うんだ?」 「廉ちゃんがね、郊外の大型店みたいな所をウロウロしている夢。買い物して いるだけなんだろうけど、それが挙動不審で、おかしいんだよね」 楓は不可解な様子を見せていた。ここにある現実的なものではなく、頭の中に 残った昨夜の夢の残像の処理でもしているといった顔つきだ。イメージの断片 を掻き集め、もう一度、一繋がりにしようと努めているような、一度見た夢を 違う角度から思い返しているような、不思議な表情であらぬ宙を見つめている のだ。 「さんざんウロウロして、そのくせ、妙なものばかり、買うんだよね。青と白 のコンビのビニール紐。洗濯物を干すような、あれ。それと白いビニール紐と 青いビニールシート。洗濯物を干すとか、ピクニックに行くにしてはどっちも 多すぎる。そんな何枚も、何本もいらないでしょって感じ。一体、何、始める 気なんだろうって、思うような量なんだよね」 楓は自分を見つめる父親の心配げな視線に気付き、不意に笑顔を作った。 「大丈夫だよ。こんなこと、他の誰にも言っていないから」 「そんなことはどうでもいいんだ」 麻木は正直にそう言った。楓の心に余計な圧力を掛け続けていた自分の言動を 思うと、今更ながら気が引ける。もし、楓が誤解を恐れずに、誰彼なしに相談 出来ていたなら、もっと容易に正常でいられたかも知れないのだ。 「ああ、ちなみに、あの女の人は出て来なくなったよ。小さな青い石が三つ、 付いた指輪をした人ね。案外、お家に帰れたのかも知れないね」 楓を苛む幻の女性は姿を見せなくなったらしい。未だ、彼には幻と認識出来て いないようだが、見なくなったのなら十分に復調の兆しと言えるのだろう。 「よかったな」 「うん」 楓は心底、彼女が帰宅出来たことを安堵したような、穏やかな笑みを見せた。 幻にまで優しい楓が麻木には不憫でならなかった。 |