結局、田岡からは麻木個人に宛てても、ハガキが一枚、届いただけだった。 "大変、お世話になりました。転職します。メドが立ち次第、改めて御挨拶に 伺います。田岡 涼" それっきりだ。今時の若者とはそんなものなのだろう か? 確かに田岡には扱い難いところが多々、あった。だが、それでも時折、 親の躾を感じさせる、まともなところが欠点と同じ数くらいはあったと思う。 麻木は自分の見立て違いに失望し、がっかりするあまり、余計に楓に執着する ようになったのかも知れない。楓の無事を自分の目で見て、安心したいという 思いもあって、頻繁に楓のマンションを訪ねるようになっていた。曲がりなり にも未だ刑事なのだ。楓の回りをうろつくだけでも、僅かばかりの防犯効果が 期待出来そうなものだし、出会い頭に何らかの情報が手に入るやも知れない。 楓が慣れ過ぎて気付かない小さな変化でも、時折、訪れる麻木には強く変化と 感じ取れることだって、あり得るのではないか。それに、マンションを訪れる こと自体、麻木には苦ではなくなっていた。あの執拗な警備が麻木に対しては すっかりなりをひそめ、目に見えて甘くなったからだ。楓は自分のコンサート とその合間に面倒を看る新人二組のレコーディングとやらに追われ、留守がち になっていて、結果的に麻木は真夜気と話す機会を増やしていた。警備員達の 変貌はその影響だろうか。彼らは皆、麻木に対しては愛想が良くなり、小岩井 でなくとも麻木を見かければ寄って来て、笑顔で世間話までした。正直、そこ には真夜気だけではなく、ミーヤの意向もあるのだろうと麻木は推察している のだ。この社会と一線を画した風変わりなマンションにおいては彼以上の意思 はないに等しい。未だ見ぬ彼の配慮で麻木は随分と助かっているらしい。 しかし、真夜気によると、そのミーヤは著しく疲れた様子で帰宅したきり、 寝付いているそうだ。思えば、真夜気は毎日、植物状態の妹達を見舞い、その 帰りにミーヤの様態を確認している。精神的にも肉体的にも大変な負担に違い なかった。 「大変だな」 「うん。ま、でも、この頃は彩子が立ち直ってくれて、差し入れしたり、飯を 作ってくれたりもしてくれるから、餓死の心配はないし。ただ、彩子はミーヤ ほど、オレの好みを考えてくれないからな。そこのところが難点と言えば難点 かな。旦那が年寄りだからか、彩子のメニューは爺臭いんだよね」 「餓死しなくて済むんならいいじゃないか。それに飯は年寄り向けの物の方が 身体にいいんだぞ」 「言ってくれるねぇ」 真夜気はニコニコと楽しそうに笑ってはいるが、彼が今、大変な心労を抱えて いるのは事実だ。若い頬はやつれ、薄くなっている。しかして、麻木は真夜気 に誘われるまま、ミーヤの住まいに上がり込むことが多くなっていた。そこは 一対三の比率で区分されているとかで、勝手口の部分から入る一の方は誰でも 出入り自由なのだと真夜気は言う。地下から専用エレベーターで入る三の方で 今、ミーヤは休んでいる。麻木と楽しげに馬鹿話をしている合間にも真夜気は 席を立ち、ミーヤの様子を見に行くことがあった。ドア一枚で自由に行き来は 出来るそうだが、そちら側には仕事で用のある者しか通さないらしい。だから 小鷺は未だに立ち入ったことがないのだと真夜気は楽しそうに笑った。それが 彼の自慢なのだろう。その日も真夜気はつい、と離れて、ミーヤの様子を見に 行き、すぐに戻って来た。特に表情に変化は見られないものの、麻木は心配に なって聞いてみた。 「具合が悪いようなら、付いていてやればいい。オレは引き上げるから」 「そんなんじゃないよ。ミーヤはうとうとしているだけで悪くはない。ただ、 最近、普段、ミーヤの番をしている奴が例の帳簿の件でアメリカに行っていて ね。そいつさえ付いていれば、何にも心配いらないんだけど、いないとその分 だけ、心配でさ。反動だな、ちょっとした」 「あれだけ警備員がいれば、何の心配もないだろう」 「そうなんだけど。世の中には自分の屋敷で寝ていて、刺されて死ぬ奴もいた からな。おまけに犯人は捕まってもいない」 ピンと来た。以前に確か、六階の住人は警察不信なのだと聞いた、それだ。 |