『あんなにすやすや眠っていたんじゃ、殺すのだって簡単すよね。胸を包丁で 刺すとか、銃で撃つとかすれば、ものの何秒で済むし。腕力に自信があれば、 首を絞めたっていい。でも、連れ去るとなると、そうは行かない。大人相手に 一人じゃ、無理だ。横たわった身体を起こそうとすれば、誰だって目覚める。 大騒ぎするはずでしょ』 『よっぽど小さな子供でもなければ、抵抗するだろうからな』 『だったら、犯人はどうやって相手を無抵抗にしたんだろう。何か、しないと 絶対、無理っすよね、普通。やっぱり、そーゆー薬を使ったと考えるべきなん じゃないんすかね』 誰でも考え付くことだった。しかし、四つの死体に何らかの薬品が使用された 形跡はなかった。 『解剖結果はシロだ。何も検出されていない』 田岡は口を尖らせた。 『それくらい、オレだって知っていますよ。だけど、四人共、拉致されて三日 は経ってから発見されているんだ。その間に痕跡が消えてしまう薬だってある かも知れないじゃないっすか?』 『そんな便利な薬があるのかね?』 『オレが知るわけないっしょ。薬屋じゃないんだから。ああ、あの坊ちゃんに 聞けばいいんだ。製薬会社の御曹司だから、マーケットには出回らないネタを 隠し持っているかも知れないじゃないすか』 田岡は憮然とした顔でそれきり、黙りこくってしまった。年の瀬の荘六での 続きを始めるつもりなのかと麻木が閉口していると、田岡は思いがけないこと を言い始めた。 『恨まれているのは』 『恨まれているのはデブ社長やその因業やり手ママなんかじゃなくて、案外、 おやじさんなんじゃないんすか?』 麻木は今井とのやり取りは全て、個人的に会った分まで含めて、田岡には報告 してあった。自分が恨まれていて、だからこそ、その事務所を潰すための脅迫 なのではないかと言う今井自身の見方も無視は出来なかったからだ。何しろ、 他に何の手掛かりもない。それに今井本人はともかく、確かにやり手の母親は 恨まれていても不思議ではないことをして、のし上がっていた。以前には彼女 の事務所に所属するアイドル歌手が失踪して、未だ消息不明のままという有様 なのだ。そんな彼女なら、豪腕故に遺恨を残すこともあったかも知れない。 ___だが、何で、オレが? 『何で、オレなんだ? 人に恨まれるほど、出世したこともないのに』 『そりゃあね。でも、長いこと、刑事なんてやっていればあるっしょ? 昔、 逮捕されたのを恨んでいるとか、そこまでは行かなくても、関係ないのに事情 を聞かれた、疑われたからムカつくとか、口の利き方が横柄だったとか。そう いうのくらいは』 『あいにく恨まれるほど有能じゃなかったし、そんなに張り切って仕事をした こともなかった。おまえが一番、良く知っているじゃないか』 麻木はそう何の気なしに答えながら、一瞬だけ、自分の頭の中を誰かがすっと 横切ったような感覚に囚われた。正体はわからない。だが、間違いなく小ぶり な、細い身体が見えたような気がした。薄青い小花柄の何か。柔らかい感触が 脳裏に未だ、残っているような気がする。 ___誰だ? 田岡は残像の正体を突き止めるべく頭を巡らせている麻木をじっと見据えて いる。彼もまた、無表情だった。麻木はこの時、ようやくその顔に気付いた。 本当は時々、見て知っていた顔であり、そのくせ、意識することのなかった顔 だ。そして、それを見る度、麻木は内心、我知らず、その白い小さな顔を怖い と思っていたのかも知れない。今、こうしてまともに向き合ってみると、それ はすぐに気付くようなあからさまな敵意ではなく、もっと、もっと低温の憎悪 がその白さの下に透けて見えるような気がしてならなかった。田岡が今、麻木 の無表情の下に何を見ているのか、麻木にはわからない。正直を言えば、いつ だってそうだった。今、思えば。 田岡は時々、麻木の中の何かを眺め、観察しているような、探るような目を 向けて来ることがあった。その視線をかいくぐりながら麻木もまた、同じよう に田岡を観察していた。そんな時、二人はまるでうっかり出くわしてしまった 二匹の蛇のように警戒し合いながら、お互いを観察していた。今、戦う必要が ある相手なのか、否か。それを探るため、お互い、相手を見定めようと努めて いる。そう肌で感じながら、それでも麻木はなぜ、自分達がそんなことをし、 しなければならないのか、その理由がわからなかった。 |