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 より良い未来を構築する。そのためには先ず、己を改革すると決めたばかり
ではないか。ならば、ここで間の悪い男、小鷺を邪険にすることも出来まい。
麻木は思い切って、麻木にとっては余計なことを言い添えてみた。
「住所くらいならわかるぞ。万が一、引っ越していたにしろ、妹と同居らしい
から、転居届けは出すだろう」
「ああ。ありがとうございます。是非、教えて下さい。郵送にしますから」
麻木がポケットの手帳を取り出し、田岡の住所を走り書きにして、破り取り、
小鷺に手渡した時、聞き覚えのある鳴き声がした。ミャー。意外なことに猫は
マンションの外から駆け込んで来たかと思うと、すぐさま麻木の脚に白い身体
を擦り付けて来た。普段、気にも留めていなかったが、ちゃんと小さな犬猫用
と思しき扉が設置されていたのだ。
___あんなオモチャの国みたいなドア、ちゃんと開くんだ。それにしても。
感心する麻木の傍らで小鷺は首を傾げたようだ。
「あれ、おかしいな。さっき、真夜気が連れて出て行ったはずなのに」
いかにも不思議そうな小鷺の呟き。しかし、実際、彼にはそんなことより、猫
が麻木に慣れている現実の方がよほど不可解で、納得も出来ないことだろう。
麻木自身が訝しいのだ。なぜ、猫は麻木に対してこうまで愛想良く、好意的な
のか? パピにとって麻木と小鷺、二人の人間の違いとは一体、何なのだろう
? 麻木すら面妖だと思い、ばつの悪ささえ覚えるのだ。当事者である小鷺に
納得出来ようはずもなかった。
 人間であれば、皆、小鷺を好ましいと思う。若く容姿に恵まれ、頭も育ちも
良く、その上、円満な性格まで持った幸せな男を嫌うなど、余程のへそ曲がり
の所業だろう。真夜気とて、小鷺がミーヤを好きだと言わなければ、ああまで
嫌いはしなかったはずだ。自分の従兄に特殊な愛情を抱いていると語る同性を
煩わしい存在として、疎ましく感じる。それは当たり前の反応だろう。ならば
こそ、真夜気にだけは小鷺を嫌う正当な理由があるとも言えるのだ。つまり、
真夜気は珍しい例外なのだ。だとしたら、ミーヤの飼い猫、パピが小鷺を嫌う
理由とは何なのか? 一方でなぜ、彼女は麻木に対しては好意的なのか? 
___それが一番の謎だな。
 足元に摺り付いて離れない猫を拾い上げ、丸く平べったい顔を眺めてみる。
小鷺がミーヤと真夜気を恋人同士だと勘違いしているくらいだ。当然、ミーヤ
は小鷺より、真夜気の方を万事に優先するのだろう。そして、猫はその様子を
見て、小鷺より真夜気の方が格上だと判断しているのではないか。それは有り
得る事態だと麻木は考える。猫を飼ったことはないが、まち子の猫達は兄の守
より麻木の方に愛想が良かった。それは麻木にべったりのまち子を見ていての
行動だったに違いなかった。
___他所の猫はどいつも兄貴にだけ、懐いたからな。
脳の容量の少ない猫とて、周囲の人間関係をランクとして認識出来る。結果と
してパピは小鷺ではなく、真夜気を上位と見て、優先するのだろう。しかし、
それならなぜ、パピは飼い主とは無関係の麻木や楓を小鷺より上にランキング
したのだろう? 彼女の飼い主とは面識すらない親子を。
___単に楓が好きで、オレはその父親だから、か。
ミャー。猫は麻木の肩の上で首を捻り、玄関へ向けて一声、上げた。つられて
見やると、長い黒髪と少々、わがままそうな表情を持った真夜気が駆けて来る
様子が見えた。モニターで見たのだろう、警備員室に引っ込んでいた小岩井が
すっ飛んで出て来た。
「どうなさいましたので?」
帰ったはずの真夜気が引き返して来たのを見て、慌てているようだ。
「そこの角でエンジンがふて腐れちまった。業者を呼んでくれ」
「はい。直ちに」
小岩井は警備員室に駆け戻り、真夜気はと言えば、気を取り直したらしく柔和
な表情を取り戻して、麻木の腕でくつろぐパピを見た。
「おい」
呼び掛けながら、彼女の白い毛むくじゃらの右前脚を引っぱる。
「誰か呼んで来いって言っただろ? 待てど暮らせど、戻って来ないと思った
ら、こんな所で油売っていやがる。おまえに期待したオレが馬鹿だったんだよ
な」
パピは確かに出来の良い猫だ。しかし、いくら何でも用事を頼む、そこまでの
期待は大き過ぎるだろう。
「犬ならともかく、猫には無理ってもんだろう」
麻木がそう言うと、真夜気は何を言うのかという顔になった。
「何言ってんだよ? 猫って言ったって、パピだぜ。オレよりIQ高いくらい
だ。なぁ、パピ」
ミャア。さも肯定するように猫は胸を張り、鳴いて見せた。
「ほら、な」
言った本人の真夜気さえ、苦笑いするのりの良さだ。
「本当におまえには敵わないよ」
真夜気と白猫は波長が合うらしく、放っておけば、いつまででも飽きもせず、
じゃれあっていそうな気配だ。

 

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