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 楽しげな最中に水を差すのは決して、本意ではない。しかし、パピがいるの
は真夜気ではなく、麻木の腕中だった。十分に良い餌を与えられているだろう
パピはずしりと重く、いい加減、腕も痺れて麻木は根を上げたくなっていた。
「悪いが、あんた、自分で持ってくれないか。重いんだが」
「ああ、そうか」
真夜気はようやくパピの重量を思い出したらしく、急に真面目な顔になって、
慌てて、麻木の腕から馴染みの猫を抱き取ってくれた。重さから開放された腕
と共に思わず、麻木が息を吐くと、
「悪いな。頓着なくて」
そう詫びた後、真夜気は付け加えた。
「で? おじさんの可愛い楓さんはお留守なの? もしかして空振り?」
真夜気は楓の名前の前には必ず、可愛いといったその手の形容を付けたがる。
麻木は自分の楓への愛情は傍から見れば、そんなに揶揄されなければならない
ものなのか、考えてみる。知能の高い真夜気が言うのだ。きっとそういう言い
訳のならない状況なのだろう。何しろ、麻木は楓の他に愛すべき人間を持って
いないのだ。
「まぁ、な。今時期、忙しいらしい」
「せっかく来たんだ」
真夜気はパピの頭上に顎を載せ、その柔らかい感触を楽しみながら言った。
「うちで楓さんが帰るの、待てばいい。わざわざ出直すことはないよ」
「うち?」
「そう、うち。ついでに一緒に飯、食べよう。大した物は作れないけど」
麻木はそちらを見ずとも、傍らの小鷺の表情が凍り付くのを感じ取れていた。
あたかもその身体から冷たい何かが流れて来るようなのだ。少々、鈍感な麻木
でも十分、この状態は理解出来た。
「だが。持ち主もいるんだろう?」
やはり、ミーヤとは呼ばない麻木に真夜気は苦笑いした。
「ミーヤはいないよ。出掛けているんだ。だけど、留守中にオレが使ったって
怒りはしないよ。オレとミーヤの仲だもの。それにお客がパピの仲良しなら、
何の問題もないじゃん?」
ミャー。
真夜気の言葉を後押しするようにパピが鳴き声を上げて見せた。小鷺は依然、
黙りこくっている。真夜気がそんな食事の場に小鷺を誘うはずはないし、小鷺
もそこに誘われたいわけでもないだろう。ただ、ミーヤの留守中、その自宅を
好きに使える真夜気が恨めしく、憎いだけの話だ。麻木は今更、小鷺の心中に
まで気を遣わなかった。真夜気の楽しげな様子を見れば、悪い気がしなかった
し、それにミーヤが留守なら、小鷺に遠慮する必要はなさそうなものだった。
___一緒に鍋でも囲むわけじゃないんだから。
「それじゃ、お邪魔するかな」
ミャー。パピは歓迎すると言ってくれたようだった。

 いつだって。楓がちらと見やるだけの小さな鉄の門扉をまさか、自分が通過
する日が来るとは思ってもみなかった。相変わらず花台だけが寂しく置かれた
そこを通り過ぎ、麻木は真夜気に続いて階段を上がって行く。木漏れ日が溶け
出したような柔らかい間接照明が網膜を通して、心地良く身体中へ染み込んで
来るようだ。こんな階段を照らすだけの照明の優しさや心地良さだけを取って
みても、真夜気がここへ通って来る理由がわかるような気がする。一見の麻木
さえ、こうして身体が溜め込んだ緊張やストレスが吸い取られて行き、階段を
上りきった所ですっかり解消されたような身軽さを味わっているのだ。気苦労
を背負い込んだ真夜気が癒されないはずがなかった。
___そりゃあ、通いたくもなるよな。
勝手口にしては重厚な、大層な作りの木製のドアを開け、真夜気は慣れた仕草
で室内に明かりを灯す。そこはがらんとした感さえある広いリビングだった。
クリーム色の革のソファが何人分だろう、三人掛けが一つ、二人掛けが二つ、
一人掛けが三つ置かれ、その脇に小さくて低いテーブル。それは天板にチェス
盤をあしらった物で、その木肌に合わせるように壁の一面を覆い尽くした飾り
棚とピアノも同色の木製だ。大小様々の絵も飾られているが、そのインテリア
然とした様子に主の際立った個性は感じられなかった。ただ行儀良く、調度と
して上手に使われているだけの風情。こんなふうに室内をきちんと整えること
自体が金持ちにとってはマナーであり、自らの質を表示するテクニックなのや
も知れない。まるで上手な化粧のように絵はさり気なく、しかし効果的に壁を
彩っていた。そんな中にあって、麻木の気を惹いたのは飾り棚の中身だった。
___だって。普通、“それ”をわざわざ飾らないだろう?

 

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