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「で、達先生。先生の生徒さんは一体、どんな人なのかな?」
小鷺が愛想良く水を向けてやり、達は一層、嬉しげな様子を見せた。
「笠木さん。とっても綺麗で頭、良いの。僕、笠木さんに英語とフランス語、
習っているの。もう数は百まで数えられる。偉いって褒められる」
「へぇー。達君は勉強家なんだ。じゃ、笠木さんは英語とフランス語が話せる
人なんだね。そんな凄い人が達君の生徒さんなんだ」
「そう。僕の生徒さんなの」
達は得意げに胸を張って見せた。
「笠木さん、外国に住んでいたの。だから、難しい漢字、書けない。だから、
僕が先生」
笠木は帰国子女なのだろう。
「今日、笠木さん、蟠り、書けるようになった」
「わだかまり? そりゃあまた難しい字を。笠木さんは立派な生徒さんなんだ
ね」
小鷺に生徒の出来を褒められて、達は鼻が高く、気分が良くて仕方がないよう
だ。
「笠木さんはね、美容師さん。いつも良い匂いする。僕の頭も切ってくれた」
頭を切ったら死ぬと思うが。すかさず毒づきながら、さすがに彼にそんなこと
を言うのはためらわれ、麻木は口を噤み、二人のやりとりを傍観している。
「へぇー、そうなんだ。美容師さんか。恰好良いね。実はさっき、会った時、
達君が大変身しているからさ、驚いたんだよ。おしゃれになってて、ビックリ
した。本当に見違えたもの。じゃ、それも笠木さんのおかげだったんだね」
小鷺は職業柄、子供の機嫌を取り慣れているのだろうか。あまりにも調子良く
ペラペラと喋る、その様子から麻木は小鷺は稀代の大嘘吐きなのではないかと
疑い始めている次第だ。
「本当、そのカットは良いよ。そんなに上手だなんて、魔法使いみたいな美容
師さんだね」
「魔法使い?」
達の大きな目がキラリと光った。魔法使い、その言葉をこそ言いたかったよう
な達の笑みはしかし、すぐに変質した。
「そう。魔法使い。何でも出来る。あいつより強い」
「あいつって?」
「あの、悪い奴」
敵意さえにじんで見える目をして、達は吐き捨てる。小鷺は自分の知っている
人間の中から慎重に達に悪い奴と評される該当者をリストアップしてみたよう
だ。ややあって、恐る恐る、小鷺はその名を口にした。
「それって、もしかして、大沢さんのこと? 違うよね? え、誰だろう?」
それはそうだろう。兄を悪い奴と吐き捨てるのも異常だし、大体、あの腕自慢
の大沢より、一美容師が強いと評するのも間違っている。片肘で高校生だった
九鬼の鼻を折るような男より、更に強い美容師がそうそういるとは思えない。
だが、当の達は自信満々だった。
「そう。だって、笠木さん、魔法使い。あいつなんか三秒でやっつけられる」
三秒。麻木は考える。それはえらく現実味のある特定なのではないか。もし、
一秒と言われたなら、麻木は全く信じなかった。だが、三秒となると、そこに
はもしかしたら、少しばかりの、何らかの根拠があるのではないかと考える。
少なくとも、この男にはそう信じるに足る根拠があった。実兄の強さと笠木の
魔法とやらを天秤に掛け、その上で達は三秒と割り出したのだ。しかし、魔法
とはそもそも何なのだろう? 今時の若者、田岡なら分析出来ようものだが。
 そこまで考えたところで、麻木は達が正常ではないのだと思い出していた。
所詮、楓の妄想のようなものだ。そう気付く。無論、楓のストレス性の、一時
的な状態はやがて回復し、完治もするだろう。だが、達のそれは生まれつきの
ものらしく生涯、変わり映えしそうもない。そんな男の話をまともにとっては
例え、達本人に悪気はなくとも、結局、時間の無駄となるだけなのだ。
___何せ、事実を的確に解釈する能力が欠けているんだろうからな。
「それじゃ、今度、その笠木さんに紹介してね。僕も是非、会いたい。お店を
教えてくれたら絶対、行くよ。僕もカットして欲しいからね、その凄腕の美容
師さんに」
 相変わらず調子の良い小鷺の笑顔を、一方の達は妙に真面目そうな顔つきで
見下ろしている。彼は疑っているような目に変えていた。
「どうしたの? 僕も達君のお友達と会いたいし、お友達になりたいんだよ」
「笠木さん」
達は暗い声で言う。
「人間嫌いだって言ってた。皆、嘘吐きで勝手で、凶悪だって」

 

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