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 この御時世だ。笠木の自論は正論なのかも知れないが、呆気に取られるよう
な極論でもあった。帰国子女であり、美容師でもある笠木。そんな年かさでも
ないだろう。そうなると笠木の人生はよほど他者に傷付けられ、社会によって
辛酸を舐めさせられた苦痛に満ちたものだったのだろうか。そこまで人間その
ものに対し、否定的な断定を為すとは一体、どんな人間なのだろう? 年齢も
性別も知らない。だが、笠木の人生は困難を極めたものに違いなかった。達が
作り話を用意出来るとは思えない以上、その通りの文言を笠木が言ったに違い
ないのだ。だとしたら笠木は筋金入りの人間不信者であり、何の不自由もなく
生きて来た小鷺と友達になりたいなどと望むはずもなかった。むしろそこまで
達した人間嫌いだからこそ、達と付き合えるのだろう。達は若干の遅れがある
分、未だ素直で正直な人間の本質的な美点を持っている。彼には知恵ある人間
が持ちがちな欠点の一つ、裏表がないのだ。
「それは残念だ。でも、もし笠木さんの気が変わったら、その時は絶対、紹介
してよね。ねっ」
「うん」
頷いて、それから達はキョロキョロと辺りを見回した。何か捜しているような
素振りだ。
「どうしたの?」
「時計。時計がないよ」
「ここは駅じゃないから。まぁ、この外観はちょっと駅舎っぽいかな」
小鷺は苦笑いしながら自分の腕時計を見た。
「もう遅いよ。一時になるところだ」
「じゃ、急いで帰る。さようなら」
極めて、あっさりしたものだ。兄よりも更に大きな身体を小さく屈めて、達は
速やかに立ち去る。彼にはもう小鷺に言うべきことが残っていなかったようだ
った。
「つまり、友達が出来たって自慢しに来たんだな」
小鷺は苦笑いしている。
「あんなんじゃ、友人は作り難いだろう」
麻木の発想に小鷺が苦く頷く。
「そうですね。初めて、なんじゃないのかな、笠木さんが。世の中には悲しく
なるような低次元の偏見が色々、残っていますからね」
小鷺は心当たりでもあるのか、寂しげに呟き、それからふと首を傾げた。
「だけど、達君が大沢さんをあいつ呼ばわりしたのには本当、驚いたな。実は
彼、大沢さんを異常に怖がっていたんですよね、昔っから。実の兄相手に何で
ああまで怯えるのか、不思議で仕方なかったんです。小学生の時なんて恐怖の
余り、引きつけを起こしたくらいですからね。それなのにあいつだなんて」
「それこそ、魔法だろう? 魔法使いの専売特許じゃないか」
麻木の考えなしの冷やかしに小鷺は声を上げて笑った。
「じゃ、さしずめ白い魔法使いですね、笠木さんは」
「白い魔法使い?」
訝る麻木に小鷺は悪戯っぽく目を細めて見せた。
「良いことをする魔法使いのことですよ。悪いことをするのは黒い魔法使い」
「ふん。ま、何にしろ、友達が出来て、自信が付いたってことだろうがな」
「そうでしょうね。良いことですよ、やっぱり。それにしても大沢さんを悪い
奴呼ばわりするだなんて、随分、大胆になったんだな、達ちゃんは」
感慨深げな小鷺を横目に見ていると、不意に名前を呼ばれた。
「麻木さん」
警備員室から駆け出て来た小岩井だ。
「楓さんから、お電話ですよぉ」
少々酒に酔い、呂律は怪しいものの、今夜は何でも楽しくてたまらないような
調子で小岩井はそう告げた。
 結局、楓は後輩のレコーディングに徹底的に付き合うことになったようだ。
コーラスを録るとかで楓までスタジオに居座ることになったらしい。しかし、
今井が忽然と姿を消したまま、全く消息が掴めない、この状況下ではいっそ、
どんな用事でもいい。忙しくてたまらない方が楓の気は楽かも知れない。もし
も。もし、今井の亡骸が明日か、明後日にか、どこかで発見されたなら。楓は
どんなに強いショックを受けることだろう。そう思うと麻木も辛かった。四人
の被害者達と同じような感情を持っていたとは言え、今井は楓の所属する事務
所の社長であり、自分の感情よりも、楓に迷惑を掛けないことの方を優先して
いた。楓を想い、遠慮していた分、楓も嫌ってはいなかったはずだ。

 

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