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 もし、今井が邪魔なだけの存在だったなら。当然、楓は独立するなり、移籍
するなり相応の行動を取っただろう。彼なら、いつでも引く手数多だったはず
だ。それをせず、更に自分の引退後の事務所のために奔走するなど、するはず
もないことだ。ならば、やり手で知られる母親ほどの甲斐性はなくとも、人間
的に今井を気に入っていたに違いなかった。だからこそ、彼を助けてやりたい
と麻木とて、思っている。だが、そのために自分に一体、何が出来るだろう?
犯人のめどすら立っていないこの状況で。
 時間的な、犯人達の行動パターンを考えれば、拉致されて一日半は経過して
いるこの時点で今井の身の安全は限りなく疑わしかった。いや、有り得ない。
嬲られて、衰弱しているか、溺死させられているか、いずれかだ。手掛かりが
欲しい。何でもいい。犯人に辿り着けるだけの実力のある何かが欲しかった。
犯人が外部に姿をさらすのは、死体を放り捨てるその一瞬だけなのだ。今井を
さらう時、彼らは姿を見せなかった。まさか今井が狙われるなどとは想定して
いなかったし、当然、どこでさらわれるのか見当が付くはずもない。むざむざ
と一人、連れさらわれた結果を嘆きはするが、止むを得なかったと言えなくも
ない。だが、今度。その死体を捨てる時なら。それなら、目見当程度は付きは
しないか。何らかの予測は出来ないものだろうか?
 少なくとも日時は限定出来る。さらって、三日後。それは決まり事となって
いた。そして、捨て場所は楓に縁のあるどこか。それならば、明日の深夜から
早朝にかけ、手当たり次第、いや、せめて数ヶ所に絞り、張り込んでいれば。
もしかしたら、いらなくなったゴミを不法投棄する、その現場に立ち会うこと
が出来ないものだろうか。それをせめて、千載一遇のチャンスに出来ないか。
しかし、そこは一体、どこなのか。今までは幼い楓の遊んだ公園であり、楓が
通った学校だった。ならば、大学かと思ったが、あそこは交通量が多過ぎる。
便利が良過ぎて、若い人目が絶えることがない。
___あそこじゃない。無理だ。
それではと他を考えてみるものの、どれも的を得ない。楓の暮らすマンション
はまず、無理だろう。そこは始終、警備員達がうろついていて、ミーヤを守る
警備員達がついでに楓も守ってくれそうなものだった。楓の思い出のある所。
思いを巡らせる内、麻木は一つ、思い付いた。
___そうだ。間北 恵留の住んでいたアパートなら。
当時、交際していた楓は泊まったことがあると言っていた。その間北はとうに
引っ越しているが、彼女がいなくとも、楓にとって懐かしい場所であることに
変わりないのではないか。だが、あまりにもプライベートなことであり、間北
が楓の恋人として存在していたことを知る人間そのものが少なそうだ。あの楓
が自分の恋人の存在を言いふらすとは思えない。当然、二人が付き合っていた
事実を知る人間は極めて少なく、その上、そのアパートの住所を知って、そこ
に死体を捨てられる可能性を持つ者など、ゼロに近いのではないか。誰一人、
彼女の存在すら、知らなかったかも知れないくらいなのだ。
___あの楓のことだからな。
麻木は玄関の呼び鈴に我に返り、慌てて、立ち上がった。
 そこにいたのは予想もしない客だった。この小さな、しかし、心安らげる家
を彼が訪れる、そんな考えたこともない事態に面喰らい、麻木は叔父であるに
も関わらず、不吉だとまで考えてしまったのだ。玄関先に立った廉は嘘っぽく
も見える、にこやかな笑みを浮かべたまま、叔父の様子を見守っている。
「何だ?」
無愛想な叔父の態度にも、廉は気分の変化を見せなかった。変わらずニコニコ
と、いかにも気の良い甥っ子という様子を変えず、口を開いた。
「所用で近くまで来たら、何だか急に懐かしくなりまして。そう言えば、僕、
ここにはほとんど来たことがないなと思ったら、素通り出来なくなったんです
よね。叔父さんの顔が見たくなって」
麻木は対応に困ってはいたものの、自分が彼の叔父であることは覚えていた。
それに。兄夫婦は甥である楓をとことん可愛がり、大事にしてくれた。それを
思うと、二人の実子である廉に茶の一杯も勧めないままては、あまりに二人に
申し訳なく、人として恥ずべき非礼を犯そうとしているような心地もしなくは
ない。自分は定年を控えた、もう老人と呼ばれても致し方ない高齢者であり、
子供ではないのだ。虫が好かないという感情は二の次にしなくてはならない。
ここは常識に従うべきだろう。何よりも、高齢の自分に万が一のことがあった
時、兄夫婦がこの世を去った後、楓が頼るべき肉親は廉一人なのだ。
気には入らないが、弁護士なら当てにはなるだろう。

 

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